倶楽部の生い立ち
迷惑倶楽部の創設
昭和24年(1949年)創設
迷惑倶楽部誕生の時期については、諸説があるが「九州ラグビー史」(昭和47年・九州協会発行)によると、上記の年が創設の年とされている。
迷惑ラグビー倶楽部 創立50周年記念誌 |
創設時のジャージ
萌黄色、左胸に「にわか面」のマーク |
現在のユニフォーム |
誕生時のいきさつ
溝口博 氏
戦後、各地から故郷に帰ってきた、かっての福岡クラブの連中を終結させた陰の力は、私費を投じてかく人に送り続けた、溝口博氏の『ラグビー通信』であった、 これによって、戦後ラグビーの復活を早めた。
昭和24年には、福岡クラブを後輩にゆだね、関東「不惑」関西「惑惑」に続いて「迷惑」の誕生となった。
初会合は、森文太郎宅、集まった面々は、速見伝吉、大松勝明、和田正夫、溝口博、安武一道、松隈保等である
迷惑倶楽部四十年史
ラグビーこそ我が人生
創設時のジャージ
萌黄色、左胸に「にわか面」のマーク。「にわか面」とは、博多どんたく等で披露される、「博多にわか」に使われる面。
迷惑の名称の由来
創設時の会合で「あえて『惑』にこだわることもなかろう」という意見もあったが、ゲームさえ出来れば良か、 という連中にとっては「名前やらどげんでもよかばい、迷惑なこっちゃなー」と言っているうちに、「そんなら、『迷惑』にするか」となった。
世話人制度
創設時の迷惑倶楽部には、会長・主将・主務などは無く、倶楽部の運営から、試合の段取りまで総て、「世話人」によって行われていた。
主将は、試合の都度、決められていた。
初代世話人は、大松勝明・松隈保・安武一道・溝口博
運営費用
昭和24年~34年、世話人のポケットマネー
昭和35年~46年、年会費500円
誕生初期は、倶楽部の運営費も、はがき等の通信費のみで、総て世話人の個人的出費に頼っていたが、 会員・試合数ともに増加し、協会費やグランド使用料などが嵩んできたので、昭和35年の総会により、年会費を徴収することに決定。